周枳(すき)の地名について
当地の歴史は古く、左坂墳墓群のガラス玉や鉄製品などの出土品に照らし合わせると弥生時代よりも以前から人々の営みがあったと考えられます。
地区名の由来は、推古大嘗会(天皇即位後初めて新穀を供える祭事)でお供えする穀物を作る場所を選ぶとき(斎田ト定)この地を(主基の地)選出し、平安時代に編纂された「倭名類従抄」に記載されている「主基(周枳)郷」がもとになっているようです。
しかしながら主基が周枳と改称された年代、理由は定かではありません。
※当地の氏神「大宮賣神社」の「賣」、周枳・五十河・間人・是安・此城、摩訶不思議な地名と大陸に近いこの地は、数多くの墳墓や遺跡が随所にあり、門脇禎二氏の「丹後王国論」を読み頭に浮かぶ・・・力に導かれるパワースポットの「宝庫」。
まちづくり計画書資料
周枳区は、京都府北部京丹後市大宮町の中央にあり、面積は4.09平方kmで山林原野約64%、田畑約32%、宅地約3%、その他1%の構成となっています。自然豊かな環境がもたらす産業の発展と、区民が安全に生活できるよう地域の中核としての活動しています。